国家主導の義務教育vsオルタナティブスクールの構造

教育
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多様な考え方があるため、分類するのは難しいですが、国民の関心が高まってきているホームスクールもオルタナティブ教育の中のひとつの考え方だと思います。

義務教育vsオルタナティブスクール

もともと、中央政府が主導する教育に疑問を抱いたり、もっと自由で束縛されない発想で育てたいと親たちが主導してきたオルタナティブスクールという存在があります。そのなかでもシュタイナー学校は知名度があり、教育熱心な親たちの間では有名です。大きな書店にはシュタイナー教育書のコーナーまで設けられているようです。

しかし、このシュタイナー学校が大きな迫害と外圧のなかで発展してきた歴史を知る人は少ない。

 
ドイツのシュタイナー学校は何の問題もなく順調に発展してきたと思われるかもしれない。しかし、ドイツの教育体制は、18世紀後半以降、国家による強力な学校監督体制と私立学校に対する公立学校優位の原則を基軸としてきたこと、しかもこうした伝統的な教育体制が第2次世界大戦後も一旦は継受されたことが想起されるべきであろう。事実、ナチズム期には、ドイツ国内のシュタイナー学校は全て閉鎖を余儀なくされ、また第2次世界大戦後も、シュタイナー学校はその自由な教育活動を確保するために、「極めて多大な労力と忍耐と適応能力が費やされなければならなかった。」

国家が良くも悪くも教育を支配し、国民をコントロールしてきた構造が分かります。私たちは義務教育というもののメリット・デメリットをもう一度考え直す時期に来ているのかもしれません。

小さな学校の時代がやってくる

もし、義務教育に疑問を持っている親がいたとしても、本来あるべき姿の理想として家庭で学習させるというのは、いまの日本社会では現実離れしています。考えてみても分かりますが、子供を学校へ行かせるほど楽なことはありません。子供が家で勉強すれば、親は子供を見なければならない。このコロナ禍の緊急事態宣言で、家で勉強させることが、どれほど大変か分かった親が多かったと思います。

しかし、義務教育とは違うオルタナティブスクールがたくさん現れ、しかも経済的な負担も少なければ、選択の余地が生まれます。小さな学校は主体的な学校であるとも言えます。

 
 

私は、30年余りにわたって、3つの大学で建築学を教えてきました。教師生活はそれなりに楽しかったのですが、講義中の学生の私語の多さと学習意欲の低さにうんざりしていました。…学校では、決められた時間割にもとづいて、長時間、席について先生の話をひたすら聞いているだけの受け身の授業と、時々、先生の話した内容の理解度を確かめるだけのテストが行われます。小学生から高校に至るまで、このような授業を受け続けてきた結果、勉強はテストがあるからするものになり、学ぶことに何の喜びも感じられなくなってしまったのだとしたら、学生たちを責めるわけにはいかないと思いました。

(7頁から)

筆者は、こういった問題点に気づき、子どもたちが生き生きと学べるオルナタティブスクールをつくったといいます。大学で教師をしていたといいますが、この講義中の様子は、どこの大学でも見られそうな光景で義務教育が生んだ温床なのでしょう。

義務には、学習意欲が起きず喜びが生まれないことは明確なのです。義務教育と命名し、政府が一方的に与えた教育だから上手くいかないのです。学生の学習意欲は、受験勉強でのモチベーションでしか生まれない、そんな学校教育に疑問を持つ人が多くなると良いですが、国民の意識は簡単には変わらないと思います。義務教育の9年間は、疑問を持たずとくかく学校に行きましょうと主体性を失くす期間だからです。

フィンランドでは、「人間というものは、もともと興味・関心を持っていて、自ら学んでいくものだ」「教育を強要すれば、本来の学習がぶち壊しになってしまい、教育にはかえってマイナスだ」という教育観を大人たちが持っているといい、筆者が教育面で影響を受けた国だったようです。

フィンランドは試験や宿題を重要視せず、PISAの成績で何年にもわたって高いスコアを上げているため、各国から教育面で特に注目されることが多いです。これだけをもって、もろ手を上げて称賛する訳にはいきませんが、フィンランドの教育観の方が「人間らしい」と多くの人が思うのではないでしょうか。

小学校に入ると、他の子どもと比較されることが多くなります。人より勉強ができる子やスポーツが得意な子は優越感を持ちますが、人より優れたところがない子は劣等感を持ってしまいます。優越感が強すぎても劣等感が強すぎても問題です。優越感の強い子は、何事も一番でないと気がすみません。しかし、そのような子でもいったん挫折すると自信喪失に陥ることがよくあります。一方、劣等感の強い子は、自分は何をやってもダメなんだと思い、無能感をもってしまいます。この二つのタイプは一見異なっていますが、共通しているのは自分の行動が他人に左右されるということです。このように外部の評価にもとづいて行動するので、何をやっても心から満足することはなく、いつも不安に感じています。言い換えれば、自己肯定感が低い子どもたちです。

(24頁から)

どこの国の教育とか、シュタイナー 、モンテッソーリ、イエナ・プランなど方法を考えることより、自立し主体的な考えの親たちが、主体的な(自己肯定感が強い)子供を育てると考えることが基本で、教育方法はその手段に過ぎないと個人的には考えています。

最後に

この「小さな学校の時代がやってくる」という本では、小さな学校に立ちはだかる壁について述べています。

制度の壁
学校教育法や私立学校法などの法律。

ステークホルダー(利害関係者)の壁
文部科学省、都道府県教育部局、教育委員会、教職員組合など。

社会通念の壁
「少人数だと子どもたちの人間関係が狭くなるので、社会性が育たないのでは?」など根拠のない固定概念。

コロナ禍を体験した現在は、すでに成熟したオルタナティブ教育が脚光を浴びるに相応しい時期だと感じます。それでも、最後は、社会通念の壁がすべてのように思います。言ってみれば、これさえ変われば、法律をつくるのも、利害関係をなしているのも「人間」であるため、大きな前進が望めるように感じます。

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