私が実践した間取りの考え方

間取り
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せっかくお金をかける注文住宅なら「間取り」にこだわらないともったいないです。家の性能だけなら断熱性能が良い建売りもあります。私が探していたとき、実際にUa値2.7という建売り住宅に遭遇しました。その1軒だけでしたが。。。

間取りを考える前に夫婦の話し合いが重要

経験上、家づくりの「間取り」を決めるとき一番大切になるのが夫婦の話し合いだと実感しています。家づくりをした人なら分かる話ですが、必ずと言っていいほど夫婦の間で意見が分かれます。特に私のように自由な発想(=普通ではない)場合は、特に食い違うのは必至です。

私たち夫婦は、常日頃から価値観を共有(違うのは当たり前なので伴侶を理解)するために色々よく話し合っていましたが、更に深く話すキッカケにもなりました。(ここでは、間取りの考え方ということで割愛します)

間取りの考え方(私の実践方法)

まず、間取りを考えるときにまず考えたのは社会と子供のこと。建築家の隈研吾氏が、分かり易く解説しているのを見つけたので引用します。

建築に使われる素材や色以上に、思想、時代、社会が色濃く反映されるのがプランニング、すなわち平面計画です。たとえば住宅の間取りは、社会の産物であり、その社会の本質が投影されます。

69頁から引用

これは、リビングにテレビを置く間取りが生活に溶け込んでいることからの気づきでした。テレビを囲った団欒、テレビの情報が家庭に影響を与えるように敢えてつくる間取り。我々は暮らしているだけで本当の本質を見失います。

時代や社会だけが色濃く反映されるのではなく、思想までも反映されるのです。

もちろん、「暮らし」は人間が主人公であり、間取りのある家はタダの箱に過ぎないとも言えます。しかし、そこにはどのように建てられたかという想いが、知らず知らずのうちに個々人の思想に長い年月をかけて隅々にまで浸透していくのです。そして、それがいつの間にか、当たり前のこと、常識となり次の時代に継承していくのだと思います。

現代日本では、住宅の間取りの基本型は、nLDKだと言われています。住宅に住む人間の数だけのn個のベッドルーム、共有のL(リビング)、D(ダイニング)、K(キッチン)を足し合わせたものが住宅だという考え方です。

70から引用

住宅の間取りにおいて一番重要なのは、家族を構成するn人それぞれが個室を持つか持たないかということなのです。戦前までの日本の家屋では、家族全員がひとつの部屋の畳の上で雑魚寝していました。寝る時も一緒だし、勉強する時も、個室で勉強するという考え方はありませんでした。しかし、戦後、みんなで寝る家は封建主義的な、個人を抑圧する家で、それぞれが個室を持つ家こそが、民主的で個人の尊厳を大事にする家だという考え方が一般化しました。戦後のその大転換によって、住宅の間取り、すなわち平面計画は一変してしまったのです。

70頁から引用

私の場合は、n人が個室を持たないとしました。費用面から考えたため、すぐにこの結論に達したのでした。しかし、予算が無限にあっても「大きくなってしまう」家には全く憧れはないです。「大きな家」ではなく「大きくなってしまう家」です。

家の中は個室以外はどれも必要なパーツであり、ポイントはここになるのでしょう。次にLDKですが、L(リビング)、D(ダイニング)という2つの空間(わざわざ切り離す)という考え方は好きでないです。そのため、ソファーを置かないことを前提に、LDKを一室空間として、置きたいテーブルの大きさからLDKの大きさを決めました。

この新しいnLDKモデルは、日本の戦後の高度経済成長、工業化に、大きく寄与しました。学校から帰ってくると子供は個室に閉じ込められて、同じようなドリル、参考書を与えられ、試験でいい点をとることだけを目標として毎日を過ごします。・・・友達と野っ原で遊んで、体を鍛えたり、生命の大切さを学んだりすることよりも、個室という「理想環境」の中での「効率的学習」が優先されたのです。

70,71頁から引用

子供を個室に閉じ込めたのは誰なのでしょうか?

マックス・ヴェーバーに傾倒した人々なのか?

「効率的学習」を優先させるならば、上意下達とした学習指導要綱で同じようなドリル、参考書を中心にした方が、教える方も簡単です。同氏が「建築家になりたい君」へ「家づくり」をどう考えて欲しくてこの部分を記したのかは定かではありませんが、私もこの考えに共感します。私は、このように個室に閉じ込めることで生まれる精神的な弊害を著しく感じていました。

nLDK住宅だと住宅の面積は必然的に大きくなります。それまでの日本の住宅は、畳の上に卓袱台を置いて食事をし、食事が終わると、そこに布団を敷いて家族全員で雑魚寝をしていたので、面積は小さくても大丈夫だったのです。

71頁から引用

住宅業界でよく言われる「坪単価いくら」という単語は、家が大きくなったことを象徴する言葉だと思っています。住宅メーカーも「小さい家」しか建てられないと困るのでしょう。すでに大きな家を建ててもらうことで採算が合うようになってしまった住宅業界の構造を変革するのは、なかなか大変なことなのかもしれません。

個室を持つか持たないかの深掘り

住宅の間取りにおいて一番重要なのは、家族を構成するn人それぞれが個室を持つか持たないかということなのです

これは、各家庭でn人が「書斎」「子供部屋」「趣味部屋」を持つのか持たないのかが、間取りにおいて一番重要であると言っているのでしょうか?

私なりに出した答えは、あとがきにヒントがありました。

20世紀までの建築の流れを一言でまとめれば、「大きなハコ」への流れということになると、僕は考えています。効率的に生活することのできる「ハコ」に人間を詰め込むことが、人間を幸せにすることだと信じ込み、その「ハコ」をどんどん大きくしていったのが、建築の歴史であり、人類の歴史であったのです。

あとがきから引用

やはり、大型ビルから住まいに至るまで、建築物は人間の本来あるべきための役割を担えていなかったということではないでしょうか。

「大きなハコ」は空間的に人間を管理していただけでなく、朝9時からの8時間労働といった形で、時間的にも人間を管理していたのです。

あとがきから引用

同氏はこれからの建築の課題は「大きなハコ」をどう解体するかだと言っています。ビルの高層化や大都市への集中も負の遺産と考えているようです。

住宅ローンを組んだ私が言うのもなんですが、本来、住まいは負債を抱えて買うというものではないように感じています。それゆえ、私の家づくりはいかに費用を削るかのを中心に考えすぎた感があります。政府は住宅を「大きなハコ」を推奨するかのように、いろいろな減税処置や補助金で煽ります。

話は大きくなりますが、教育、まちづくり、家づくりなど、、ボトムアップ型が理想形だと思っています。そういった意味でも間取りの考え方は俯瞰的な見方が重要と感じます。

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家づくりについて考える―中庭のある平屋暮らしー

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