子供部屋の歴史~どのように勉強部屋ができたのか?

子供部屋
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そもそも子供部屋はいつからできたのか?起源を知ることが、子供部屋の在り方への「ヒント」となりえると考えます。

近代まで世界的に子供という概念が一般的でなかった

古代ギリシャ・ローマにおいては、子どもはモノ同然に売り買いされ、現在では考えられないような悲惨な状況に置かれていた。

中世においても子どもという概念は一般的でなかった。子どもは未熟な大人、完成されていないヒトであるとして扱われた。

子供という概念がなかった理由

  • 母親や乳母、子守役の心遣いがなくても暮らしていけるようになるとすぐに大人の社会へ。
  • 子供の死亡率が高く、この時期を過ぎるとすぐ一人前として働き手となり大人の仲間入り。
  • 大人と子供の区別をする必然性がなく気薄。
  • 今の時代からみると子供に対し無関心。

 

18世紀ごろから子供という概念が生まれる。ルソーは子どもには独自性があり、大人よりも価値がない存在ではなく、決して軽んじられるべきものではないとした。のちに、プライバシーが芽生え、家を公共の空間という捉え方から個室が取り入れられ、子供部屋が生まれてくる。

日本の人口と平均寿命からみる子ども観

17世紀初頭までの日本の人口増加は非常にゆっくりしたもの。1872(明治5)年に徴兵制が出され、富国強兵政策のもと「産めよ、ふやせよ」のスローガンが掲げられた。間引き(幼児殺し)は禁止され、多産が推奨され急激に人口が増え始める。第二次大戦後まで人口増加は続くが、戦後ベビーブームの数年間のあとは、出産数は減り続ける。

平均寿命推移

江戸時代初期・・・20代後半から30歳
江戸時代末期・・・40歳ぐらい
明治時代・大正時代・・・43歳ぐらい
第二次世界大戦直後・・・53歳ぐらい
1950年・・・男性(58歳)女性(61.5歳)
1960年・・・男性(65.32歳)女性(70.19歳)
1970年・・・男性(69.31歳)女性(74.66歳)
1980年・・・男性(73.35歳)女性(78.76歳)
1990年・・・男性(75.92歳)女性(81.90歳)


そもそも平均寿命が短いと、人生の区切りの概念は薄くなります。また戦後は寿命が急激に伸びているため、子どもの教育を受ける期間という概念が薄いまま、時代が過ぎ去ったと予測できます。

教育制度からみる子供部屋の起源

江戸時代末期までは、人口の8割は農村人口であり、子どもたちの生活も親たちの生活をそのまま踏襲したものであったのに対して、明治以後、第二次世界大戦まで、子どもたちは都市の新しい産業の担い手として、近代国家の国民として育てられるようになる。親が受けた教育とは異なる教育を受け、親とは異なる職業を目指し、都市に出て、親とは異なる人生を送る子どもたちが増える。そして、都市に出た子どもたちから生まれた次の世代は親や祖父母の農村での子ども時代とは全く異なったものとなる。

1871(明治4)年に文部省が創設され、翌年には学制が制定される。

江戸時代

武士の子・・・家塾・私塾・藩校などで教育を受ける。
庶民の子・・・寺小屋で教育を受ける。

学問は、新しい職業を開拓して親から独立した人生を送るためのものではなく、親の身分・職業を受け継ぐためのもの。

明治以降

武士か庶民にかかわらず、学校教育の中ですぐれた成績を修める者にはより高度な学問の機会が与えられ、政府の役人や政治家や学者などになって、高い社会的な地位や経済的豊かさを得ることができるようになる。

日本の子供部屋の歴史

明治時代

海外の論文や研究者の紹介による「児童研究」で子供部屋が広く紹介される。しかし、個室文化は普及せず子供部屋はほとんど取り入れられなかった。日本の伝統的価値観の強さが障壁となった。

大正時代

「児童研究」による子ども観が急速に広まり、大正デモクラシーの思潮と合わさり、子ども中心の家庭が世間に広がる。第一次世界大戦を経た日本では、家業を継ぐのが一般的ではなくなった。家庭で子どもが労働力として見られなくなる。サラリーマンの誕生。母親はとくに子どもの将来を案じ始める。よりよい職に就くためには、勉強させ、学力をつけさせることが必要であると考えるようになり、子ども部屋の必要性が広く定着する。そのため、日本では西洋と違い、家庭で勉強する空間として子ども部屋は作られる背景となる。

第二次世界大戦後

人権に対する意識が高まるとともに、児童、子どもの権利に対する意識が高まる。大正時代の家族観・子ども観の普及が進み、子どもが勉強することの重要性が強まる。自治体による核家族を想定した集合住宅の間取りnLDKが、n(個室)を定着させる。家庭電化製品が登場し、台所や家事の方法に大きな変化。母親が子どもに目を向けられる時間が増加する。

1960年代

高度経済成長の最盛期であり、都市部への人口流入で住宅団地の建設ラッシュ。日本の生活習慣が大きく変化した。戦後のベビーブーム期(1947~49年生まれ)の子供が中学、高校の進学期を迎え、子ども部屋は一般化する。

1970年代から1980年代にかけて

住宅メーカーの台頭。家は現場作業で手作りするのではなく、部材を組み立てるだけの、既製品化される。DK や LDK モデルの提案により、子どもと親の部屋を分けることがあらかじめ間取りに組み込まれるようになり、普及は更に進む。1970年代の子ども部屋所有率はアメリカをはじめとするどの国よりも高いとされ、子ども部屋は当たり前となる。

まとめ

1872(明治5)年に福沢諭吉の著書である「学問のすゝめ」が出版されます。貧富貴賤に雲泥の差があるのは、学ぶか否かによるのであるということが強調された。この書物は300万部以上売れたとされ、当時の日本の人口が3000万人程度であるので、国民の10人に1人が読んだ計算になる。国民の急激な意識転換がなされたと想像できます。

この出版から100年を経る前に子供部屋は一般化されており、子供部屋ができてからの歴史はまだ意外と日が浅いということが分かります。欧米諸国はベッドルームというように部屋が寝るスペースなのに対し、日本の子供部屋は、当たり前のように勉強をする個室として捉えられてきたことが、時代背景により理解が深まります。

引用・参考文献
日本の子ども史(平凡社)森山茂樹・中江和恵
子どもを育てるたてもの学(チャイルド本社)高橋鷹志
こどもの歴史(法政大学出版局)ハリー・ハリスン/藤森和子訳

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